【沖縄旅行で平和を祈る】
鎮魂と暮らしが共存する平和祈念公園
摩文仁の丘で何が起きたのか
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アメリカ軍が沖縄に上陸したのは終戦の年に当たる1945年の4月1日、
5月に入るとアメリカ軍がどんどん南へと侵攻し、現在の那覇市近郊まで到達しました。
日本軍は
首里城近郊の沖縄防衛第三十二軍司令部があり攻防を続けていましたが、日本軍としては
本土決戦を少しでも延ばさなければならず、ここで玉砕する訳には行きません。
よって作戦を変更して、沖縄南部(糸満・喜屋武岬近郊)まで
戦線を後退する作戦を立てます。この
急な作戦変更によって、糸満市をはじめとする沖縄南部の住民達は
急な避難を迫られ、前線とも言える砲弾の飛び交うなかでの移動が強いられました。
【 沖縄旅行で平和学習☆摩文仁の丘に平和祈念公園がある理由 】
● このように戦線を南部へ後退した先で戦闘司令部(拠点)が編成されたのは、
八重瀬岳・与座岳、そして
摩文仁の丘。
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→ この三つの戦闘司令部のなかで
最後まで残されたのが、最南端にあった糸満市摩文仁の丘です。
1945年6月17日、摩文仁の丘以外の戦線がアメリカ軍に突破されました。
ただ、この頃にはすでに摩文仁の丘沿岸には
アメリカ軍艦艇が集まっており、その光景を日本軍幹部(牛島軍司令官)も眺めることができる状態です。
この時、当時のアメリカ軍中将であるシモン・バックナーは
降伏を求めていますが、翌6月18日、日本軍による砲弾に倒れ命を落としました。
【 沖縄旅行で平和学習☆摩文仁の丘で起きたこと 】
→ その後の経緯は下記のような流れです。
●1945年6月18日
・牛島軍司令官、最後の命令「祖国のために最後まで敢闘せよ」。
・大本営へ別れの電報
●1945年6月21日
・アメリカ軍による攻撃を受け、陣は全滅
●1945年6月22日
・喜屋武岬で第六十二師団・自決
・糸満真壁付近で第二十四師団・戦闘により全滅
・アメリカ軍が摩文仁の丘、山頂部を制圧
●1945年6月23日
・摩文仁海沿いの岩場で、牛島司令官・長参謀長・自決
●1945年7月2日
・アメリカ軍による琉球作戦終了宣言(終戦)
※ そのため、沖縄では6月23日は「慰霊の日」となっています。
…沖縄戦の最後について、
細やかな部分まで説明してしまいましたが、沖縄旅行で平和祈念公園を訪れる際、
この地でどのような歴史が起きていたのかを理解すると、その意味合いも深くなるのではないでしょうか。
今回は軍隊の流れを中心にお伝えしましたが、先に触れたように誰もいない草原で戦闘をしているのではありません。
そこには住民がいて、日本軍として招集された兵士の
半数以上が臨時招集された沖縄の市民でした。
沖縄旅行で平和学習を進めるうちに、沖縄戦の惨状については伝わっていくものですので、ここでは避けます。
ただ
このような歴史を経て、沖縄の心を伝えるべく、アメリカ軍・日本軍・沖縄県民と、
敵味方関係なく沖縄戦で命を落とした全ての兵士を弔い、
平和の尊さを訴える施設が平和祈念公園であることを、どうぞ心の片隅に残して現地を訪れてみてください。
県民がお墓参りに訪れる、国立沖縄戦没者墓苑
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国立沖縄戦没者墓苑は沖縄旅行では平和学習施設としての扱いでありながら、今も尚、お墓参りの時期には、沖縄の人々が身内を供養しに、
お墓参りに訪れる場所です。
国立沖縄戦没者墓苑に祀られている
御霊体は241,132柱であることはお伝えしましたが、そのうち
149,233柱もの人々が、沖縄県民となっています。
ただ、国立沖縄戦没者墓苑には前述したように
敵味方関係なく、全ての兵士・民間の人々を弔っており、どのような状況のなかでも、
全ての人々の魂を供養する「沖縄の心」を世界に発信している施設です。
【 沖縄旅行で平和学習☆国立沖縄戦没者墓苑 】
●
住民を巻き込む地上戦となった沖縄では、兵士ばかりではなく民間人が多くの命を落としました。国立沖縄戦没者墓苑では
兵士・民間人・敵味方、全て関係ありません。沖縄戦で命を落とした
全ての人々の名を刻み、今も新しく刻まれることがあります。
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→ 2011年度の沖縄県環境生活部による資料では、国立沖縄戦没者墓苑に祀られている
御霊体の出身地は下記のようになっていました。
《日本》
・沖縄県民→149,233柱 ・県外出身者→77,327柱
《海外》
・アメリカ→14009柱 ・イギリス→82柱
・台湾→34柱 ・韓国→365柱 ・北朝鮮→82柱
沖縄に平和学習旅行で訪れると、当時のままのガマや壕があったりと、
戦争の悲惨さを強く訴える施設も数多くあります。
けれども、平和祈念公園を沖縄旅行で訪れた時に感じて欲しいのは、沖縄の人々が
沖縄戦を経験しても尚、全ての人々を
分け隔てなく丁重に弔い供養していると言う、深い深い平和への希求であり、全ての魂を許し包み込む
「平和の心=沖縄の心」であることなのです。
平和祈念堂
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平和祈念堂は
1978年に建設された「平和の象徴」です。沖縄旅行ではまず平和祈念堂に入ることが多く、さまざまな
平和式典はここで行われます。
【 沖縄旅行で平和学習☆平和祈念堂 】
● 沖縄平和記念像 → 芸術家山田真山氏が制作した高さ12メートルもの大きな像です。蓮の花に鎮座し手を合わせた大きな像は、18年もの時間を掛けて作られました。
● 戦争と平和 → 画家西村計雄氏による平和祈念のための絵画で、平和祈念堂の壁一面に巡らされてます。
● 少年の像 → 彫刻家佐藤忠良氏が寄贈したブロンズ像で、平和祈念公園敷地内にあります。
● 美術館 → 平和を祈るために制作された名だたる画伯による絵画の展示です。
沖縄旅行で平和祈念堂に来ると、世界中
多くの人々の平和への祈りを実感することができます。敷地内の平和の礎、
「命(ぬち)どぅ宝」の碑、5本の光柱が天へと延びるイベントなど、沖縄旅行に来た人々にとっても、
平和を感じる場となるのではないでしょうか。
沖縄県民にとっての平和祈念公園
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沖縄旅行者にとっては平和学習施設であり、県民にとっても毎年お墓参りの時期にはお参りに訪れる供養の地である一方で、平和祈念公園は
地域の人々の暮らしに根付いた公園でもあります。
「平和祈念公園」と言うように、
大きな敷地の公園です。広い広場では沖縄の人々が家族で
ピクニックを楽しんでいたり、年末年始には広い芝生スペースがあるので
凧揚げやボール遊びなどで賑わっています。
【 沖縄旅行で平和祈念公園☆県民にとっての平和祈念公園 】
→ さらに2017年に加わった
大きな遊具が地元の人々に人気!子育て真っただ中の
家族連れが遊具で遊びながらピクニックを楽しんだり、施設内の
清ら蝶園(ちゅらちょうえん)でオオゴマダラを子どもと観察したりしています。
● ただし清ら蝶園(9:00~17:00/年末年始休み) は入場料が必要で、
大人450円・中高生は350円ですが、幼児(就学前)は無料なので家族連れには嬉しいです。
※ 沖縄旅行など団体で利用する場合には大人350円・子ども250円と割引されます。
(平和祈念公園アクセス)
・沖縄県糸満市字摩文仁448-2
・098-997-3011
沖縄旅行者も多数出場する、毎年恒例のマラソンイベント
「NAHAマラソン(毎年12月頃開催)」の中間地点としても有名ですね。
沖縄旅行で平和祈念公園を見学するのであれば、ともかく広いので
巡回バス(150円)を利用するのもおすすめです。
いかがでしたでしょうか、今回は沖縄旅行で平和学習をするなら欠かすことのできない、
平和祈念公園についてお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
平和祈念公園のすぐ近く(車で5分ほど)には、
ひめゆりの塔があります。沖縄県内の女学生により編成され看護活動にあたった
「ひめゆり学徒隊」では、多くの女学生が激戦が繰り広げられていた糸満市で解散を迎え、多くの女学生が犠牲になりました。
このような数々の沖縄戦による悲劇の舞台でもある糸満市ですが、すぐ近くの
いちまんファームでは多幸の樹と呼ばれるパワースポット、
樹齢200年のガジュマルの樹まで冒険するバギーライドツアーがあったり、
サーファーが集まる地でもあります。
また、
豆腐作りやガラス体験などなどの楽しい体験も堪能して、悲しい歴史を乗り越え包み込みながら、現代の
暮らしを営む姿を沖縄旅行を通して感じてみてはいかがでしょうか。
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まとめ
沖縄の心で平和を訴える「平和祈念公園」
・平和祈念公園のある摩文仁の丘は、沖縄戦終焉の地
・沖縄戦の犠牲者を祀る国立沖縄戦没者墓苑
・国立沖縄戦没者墓苑には沖縄の人々がお墓参りに訪れる
・兵士民間人、敵味方関係なく祀られている
・芸術家が著名な画家達による平和を祈る芸術品
・沖縄平和記念像と「戦争と平和」
・沖縄県民にとってはピクニックスポット
・清ら蝶園ではオオゴマダラが見れる